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気付きと変革を

【ネタバレ注意】竜とそばかすの姫を鑑賞して~解釈編3~

f:id:macha_mk2:20210920193501j:plainこんばんは~!まっちゃマークツーです!

 

 

これまで、竜とそばかすの姫という映画を鑑賞してというシリーズで感想から解釈編をお伝えしてきました!

 

 

今回で解釈編も終了となり、シリーズも幕を下ろします。

 

 

最後のテーマは”少年たちの絶望と竜“です!

 

 

鈴=Belleは、排斥されようとしている竜の正体を探りに行きます。そこで、竜から何度も門前払いをされますが、くじけることなく関わり続けます。

 

その間、鈴=Belleは、ずっと竜のアザのことを気にかけていました。

 

ある時、鈴=Belleは、竜のマントにアザが新たにでき、苦しそうにしている姿を目にします。

Uのアバター現実で怪我したなどの影響を反映する仕様になっており、鈴=Belleも額が赤くなったのがアバターに反映された描写がなされていました。

 

 

では、鈴=Belleがなぜ、竜にそこまで固執したのか。

それは、初めて竜とまみえた際、悲しそうにしていることを竜から感じとり、それが自分の母の喪失とリンクしたからと私は推測しています。

 

 

話を戻すと、新しいアザができているのは、現実にて実際に叩かれ殴られているということになります。

これは、実は父から弟を守るためにかばっているということがわかります。

 

ですので、Uで竜という強い存在になっていたことやとことん殴り倒す描写は↑の抑圧しているおもいがUの中で解き放たれているからと考えられます。

 

 

そして、少年たちの絶望とは、父に怒鳴られ、叩かれ、殴られというように精神的苦痛を味わい続けているということなのですが、実は、絶望に至った要因はもう一つあります。

 

 

それは、助けるという言葉です。

鈴=Belleが父にされている光景を見て、助けるからといったことに対して少年は、「助けるって言っても何も変わらなかった」と感情をあらわにして糾弾します。

 

つまり、一度少年たちは助けるという言葉に光を見たのです。しかし、現実は変わらず絶望の要因となってしまったのです。

ただただ繰り返される日常であれば、人は慣れもありますので、精神的にはある程度までしか落ちませんが、なまじ助けてもらえるかもしれないと期待したために、助けてもらえなかったとき、一気に落ち込んでいくのは想像がつくと思います。

 

 

ここで、あなたに質問です。

少年たちは何のため(目的)にこの絶望感を味わう必要があったのでしょうか?

・・

・・・

・・・・

考えてみましたか?

 

私はこう考えました。

まず、流れは ⇓ の通りです。

 

父に虐待される

⇨Uに入り浸る

⇨竜という強くて残虐な存在と誰もから認知される

⇨虐待のシーンがネットに出る

鈴たちが見て助けると決心する

鈴に素顔を晒す覚悟と強さを見る

⇨実際に鈴=Belleに助けられる

⇨父と向き合う覚悟を決める

 

↑の流れになっているわけですが、父から虐待されていなければ、Uに入り浸ってもその他の存在として認知されるくらいで、誰もが知る存在にはなれなかったでしょうし、鈴=Belleという女の子との出会いもおそらくなかったと思います。

さらに、鈴=Belleから強さと覚悟を見出し、それを行動に移していく決心にもつながらなかっと思います。

 

 

そして、竜のアバターを持つ少年はその先、虐待の体験を経て、世の中に発信することや実際にそういう子たちを救うという立場になっていくかもしれません。これは、虐待された経験がなければ、言葉に思いが乗らず、空虚なものとなり、虐待被害者の共感を得ることも助けることにも繋がりにくいと考えます。

 

 

まとめますと、何のために父に虐待をされる体験を少年はする必要があったのかというと、虐待体験から得た価値を世の中へ広げていくというような活動をするためということになります。

 

 

いかがだったでしょうか?

私がこの内容でお伝えしたいのは、一見ネガティブな体験があったとして何の必要があって起きていることなのかと自身に置き換えてみてほしいということです。

 

 

私たちは生きている以上、苦しい悲しいことはいくらでも起こる可能性があります。

そのたびに、苦しい悲しいでときに任せて忘れようとするのか。それとも、価値へと変換し、世の中へ影響を与えていくのか。あなたはどちらで生きていきますか?

 

 

以上、竜とそばかすの姫を鑑賞してと第してお伝えしてきましたが、いかがだったでしょうか?

何でも良いのでコメントいただけると幸いです。今の自分の悩み苦しみの状態を可視化することで変化の第一歩にもなります。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございますm(_ _)m

まっちゃマークツーでした!

 

 

【ネタバレ注意】竜とそばかすの姫を観て~解釈編2~

f:id:macha_mk2:20210919195539j:plainこんばんは!

 

今回は、『竜とそばかすの姫を観ての解釈編2』となります。

内容としては”父との関わりと幼馴染のしのぶくんに関して“解釈し、お伝えしていきます!

 

 

鈴と鈴の父との関わりで私が一番気になったのは、回想シーンや母がこどもを助けに行ってしまうシーンで父が一緒にいたり、遊んだりしていなかったりとあまりにも父との関わりがなさすぎたという点です。

 

普通に考えると、鈴が幼いという点と、毎日夕飯食べるかどうか鈴に聞いていたので、父は仕事に忙しく、母が主に一緒に音楽を教えたり、遊んだりしていたのかなと思いますよね。

 

 

それにしても、1シーンたりとも父親とのシーンが母が亡くなる以前には描写がされていなかったことには意味があるように思います。

 

 

このことが、私は一人(ぼっち)という信じ込みを芽生えさせたもう一つの要因になったのではないかと推測します。

 

 

一方で、幼馴染のしのぶくんですが、入水しようとした鈴を助けたり、「言いたいことがあったら言えよ」と定期的に鈴に話しかけていたり、Uで本当の姿を出すきっかけになった発言をしていたりとまるでしのぶくんが父親の代わりをしているように感じられました。

 

 

父としのぶくんには共通点があるように思いました。

 

それは「支える立場」ではないかと考えました。

積極的に関わりを持つわけではないものの、鈴が困っているときに手を差し伸べる存在といて描かれていたのが印象的で、見守りつつ支える立場なのかなと思いました。

 

 

そして、少年たちを助けたあとのシーンで、父と向き合えたり、しのぶくんが「ようやく関係を変えられる(ニュアンスですが)、本当はこういう関係になりたかった」というように、支える立場としての役割を終え、本当の家族、友人(恋人未満?)として関われるようになっていったのだと考えられます。

 

 

ですので、父が母と鈴と一緒のシーンがなかったことと母の死以後に幼馴染のしのぶくんが関わり始めた(映像を見る限り)のは、母の役割を二人が継いでいたということです。

 

また、鈴が覚悟を決めて行動したことによる精神的自立が父と幼馴染のしのぶくんとの関係を変化させたことにつながったのです。

 

 

今回は、以上で締めます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m

まっちゃマークツーでした〜!🍵

 

竜とそばかすの姫を観て~解釈編~

こんばんは〜!



今回は、竜とそばかすの姫を観た解釈編です!
あくまでもフィクションで、劇中の表現から推測になりますので、自身に置き換えてみることをおすすめします。
ネタバレ注意です!



あらすじは、サイト等を見て頂ければと思います。



鈴母の死

ストーリーでキーになるのが、主人公鈴の母の死です。
だくりゅうにのまれそうな子どもを助けるため、鈴の静止を振り切り、川に飛び込みます。
そして、子どもは助かるも、鈴母は帰らぬ人となってしまいます。


この体験から鈴は

なぜ私は母に置いていかれたのか。
なぜ私ではなく、知らない子どもを選んだのか

なぜ私は一人ぼっちなのか。
と思い悩みます。


この体験から鈴は“私は、一人(ぼっち)”なんだ。と信じ込んだのだと思います。



ですので、好意を寄せる幼馴染みが話しかけてきても、逃げるように去るか、口をつぐみ、やっぱり私は一人(ぼっち)なんだと証明するのを繰り返していたわけです。


しかし、私は一人(ぼっち)と信じ込んでしまっているだけで、友人はいて、教員との接点もあり、気にかけてくれる幼馴染みもいたので、本人の信じてることが現実を誤認してしまうことがあります。



そして、私がお伝えしたいのは、『この体験は、クライマックスで何億人もの人に歌で感動を与えたこと、二人の少年を救ったことにはなくてはならない体験だった』、ということです。


それは、本人からしたら、悲しい現実で、「なぜ」という疑問を持つことは当たり前ですし、死を軽く見るということでもありません。


しかし、もし、母が命をかけてでも教えたいことがあったとしたらどうでしょうか?
例えば、「鈴?あなたは優しい子で、何億人もの人に歌で影響を与えて、少年たちを救う使命があるのよ」と懸命に説得したとしても、「ポカーン」となるだけです。


だからこそ、『』というインパクトがどうしても必要なのです。


ここまでお読みくださったあなたに質問です。


もし、母が生きていて喪失を味わっていなかったら…
もし、みんなと一緒にワイワイ過ごしていたら…

人に歌で感動を与えることや少年たちを救うことはできたでしょうか?


解釈編は項目ごとにお伝えしてまいります。
次回に続きます。


お読みいただき、ありがとうございました!
まっちゃマークツーでした〜!

【ネタバレ注意】竜とそばかすの姫を観て

f:id:macha_mk2:20210916194603j:plainこんばんは!

今回は、番外編です!
㊙️ネタバレ注意です! OKな方以外は鑑賞後にお読みください。



……よろしいでしょうか?


あなたは、“竜とそばかすの姫”をご覧になりましたか?



今回は、私の感想をお伝えしますね。
ミーハー気質なところ、『主題歌・挿入歌を大音響で聞こう』という気楽な気持ちで観ました。



ところが、クライマックスの展開に自然と涙が出ていました(´;ω;`)
〘父とのやり取りや、∪の中で鈴が歌うシーン〙が素晴らしいと感じました。




一番印象的だったのは、自分を置いて助けに行ったまま帰らぬ人となった母と同じように、Belleを脱ぎ捨ててでも、少年たちを救おうとしている鈴の姿が母と重なったシーンですね。


『同じことしてるなー、親子だなー』と心の中で思ってました( ꈍᴗꈍ)


監督・脚本の細田守さんは、「若い子たちに勇気を与えたい」と仰っていました。実際に勇気を得た人もいるんじゃないかなと思います。



次回は、劇中内容の解釈についてお伝えします。



読了感謝いたします、まっちゃマークツーでした!

こころの変化~ヘルニア・頚椎症を通じて~

こんばんは!

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

 

 

前回は、こころの変化によって、椎間板ヘルニア・頚椎症の症状が出なくなったことをお伝えしました。

 

 

今回は、私の中で、こころの変化とはどういうものであったのかについてお伝えします。

 

 

発症から症状が続いているときは、「どうにかしなくては…」というおもいと実際にできていないことによるギャップで苦しんでおりました。

 

 

ところが、リハビリのため、外出せざるを得なくなったことで案外自分の世界でのみ物事を考えていたということに気づけたのです。

「みんなが自分を否定する」と思い込んでいた私が、全然そんな現実は起こっていないと。

 

 

それから、もう一つは、“働いてお金を稼ぐ”という目的を見出したからです。

普通は、「この痛みはどうしたら治るんだろう…」と痛みの方にフォーカスをしてしまいがちです。

 

そして、「痛みが治まらない。だからできない…」という悪循環にハマってしまうのです。

 

ですが、私は、「働いてお金を稼ぐんだ!腰痛なんてやってる場合じゃない!」という目的意識で行動を変容させていったのです。

 

 

あなたは、それを克服してどうなりたいのでしょうか?

症状が出なくなった!

こんばんは!



いつもお読みいただきありがとうございますm(__)m
初めての方もありがとうございます!



前回は、椎間板ヘルニア・頚椎症から得られた価値として、“やりたいことをやることの大切さ”という内容をお伝えしました。



今回も椎間板ヘルニアのときの内容をお伝えしていきます。



一般的にヘルニアや頚椎症は猫背による椎間板の圧迫、腰椎からの連鎖でそれぞれ神経を圧迫して痛みやしびれが起きると診断されます。



ところが、リハビリをしばらくして倉庫業にて働き始め、整形外科に行きたくないからという理由で行かなくなったのですが、なんと痛みやしびれが出なくなったのです。



普通に考えれば、「リハビリの効果でしょう」とか「神経を圧迫しなくなったんじゃない?」と思いますよね。



しかし、倉庫業というかたわら、当然荷物は運びますし、立ち仕事で頭は下を見がちです。腰と首に負担をかけています
でも、症状は出ないのです。



仏教のことばで心身一如(しんしんいちにょ)という言葉があります。
これは、身体とこころは繋がっているという考え方です。


もちろん身体からアプローチしたという見方もできますが、“こころの方が変化して症状を出す必要がなくなったのではないか"と考えています。



次回はなぜ症状を出す必要がなくなったのかについてお伝えします。

何もできなくなって得た価値

こんばんは!


いつも当ブログをお読みいただき、ありがとうございますm(__)m


前回は、“引きこもりから自己決定の大切さ”という価値を得られたという内容でした。


今回は、引きこもりを通じて発生した[椎間板ヘルニア・頚椎症]から得た価値についてお伝えします。



私は、当時朝から夜中までPCにかじりついておりました。猫背で座りっぱなしでしたので、必然椎間板に負荷をかけ続けている状態でした。

最初は右ひざ裏付近に痛みが出始めました。整形外科に行くと炎症を抑える湿布を処方されました。

そして、痛みが落ち着いた途端、脚にピリピリと電気が走る感覚と腰の痛みが出始めたのです。



病名は上記の通りです。
立ってても座っても寝ていても痛くてリハビリのため、毎日外出せざるを得なくなりました。


また、腰痛が落ち着いた頃、肩に重さを感じ、整形外科に訪ねたところ、首の頚椎症と診断され、リハビリを始めるも、腕が上がらない状態にまでなってしまいました。



まさに、“やりたくてもできない状態”になったのです。



そして、やりたくてもできない状態になって初めて「自分がどうしたいのか」というテーマに向き合うことができたのです。


これはPCをいくらいじっても気付けなかったことです。


何もできない状態をつくってくれてありがとう。
おかげで自分のやりたいことをやる大切さにに気づくことができました。
と今では感謝しています。