竜とそばかすの姫を観て~解釈編~
こんばんは〜!
今回は、竜とそばかすの姫を観た解釈編です!
あくまでもフィクションで、劇中の表現から推測になりますので、自身に置き換えてみることをおすすめします。
ネタバレ注意です!
あらすじは、サイト等を見て頂ければと思います。
・鈴母の死
ストーリーでキーになるのが、主人公鈴の母の死です。
だくりゅうにのまれそうな子どもを助けるため、鈴の静止を振り切り、川に飛び込みます。
そして、子どもは助かるも、鈴母は帰らぬ人となってしまいます。
この体験から鈴は
なぜ私は母に置いていかれたのか。
なぜ私ではなく、知らない子どもを選んだのか
↓
なぜ私は一人ぼっちなのか。
と思い悩みます。
この体験から鈴は“私は、一人(ぼっち)”なんだ。と信じ込んだのだと思います。
ですので、好意を寄せる幼馴染みが話しかけてきても、逃げるように去るか、口をつぐみ、やっぱり私は一人(ぼっち)なんだと証明するのを繰り返していたわけです。
しかし、私は一人(ぼっち)と信じ込んでしまっているだけで、友人はいて、教員との接点もあり、気にかけてくれる幼馴染みもいたので、本人の信じてることが現実を誤認してしまうことがあります。
そして、私がお伝えしたいのは、『この体験は、クライマックスで何億人もの人に歌で感動を与えたこと、二人の少年を救ったことにはなくてはならない体験だった』、ということです。
それは、本人からしたら、悲しい現実で、「なぜ」という疑問を持つことは当たり前ですし、死を軽く見るということでもありません。
しかし、もし、母が命をかけてでも教えたいことがあったとしたらどうでしょうか?
例えば、「鈴?あなたは優しい子で、何億人もの人に歌で影響を与えて、少年たちを救う使命があるのよ」と懸命に説得したとしても、「ポカーン」となるだけです。
だからこそ、『死』というインパクトがどうしても必要なのです。
ここまでお読みくださったあなたに質問です。
もし、母が生きていて喪失を味わっていなかったら…
もし、みんなと一緒にワイワイ過ごしていたら…
人に歌で感動を与えることや少年たちを救うことはできたでしょうか?
解釈編は項目ごとにお伝えしてまいります。
次回に続きます。
お読みいただき、ありがとうございました!
まっちゃマークツーでした〜!