macha_mk2のブログ

気付きと変革を

引きこもりから得た価値

こんばんは!


お忙しい中、当ブログをお読みいただき、ありがとうございますm(__)m



前回は、【人がどう思うかではなく、自分がどう思うか】で判断することが大事、という内容をお送りしました。



今回は、“自分で決めなかった事で体験したこと"をお送りします。



私は、大学2年の頃から引きこもりをし始めました。表面的な理由としては、昼夜逆転生活や友人と合わなくなったり、アルバイトを辞めたリした事で人との接触を断ったことです。



しかし、深く見ていくと、そもそも”なぜ昼夜逆転生活になったのか、人との接触を避けたのか“、というところに本当の原因があるわけです。



本当の原因を探ることによって、実は、ネガティブな体験から本当の価値が見出だせるのです。



本当に嫌だったのは、実は、”人に決められる“ことだったのです。




引きこもりを始める前、アルバイト先にて自分がやりたくない業務をさせられていました。
結局、それが決め手となり、辞めることになりました。



私は、人に決められることが大がつくほど嫌いだったのです。そのことに引きこもりの体験を経て気付かされました。
実は、大学院2年生でも再度引きこもりをしますが、この時も先生に「こうしましょう」と決められた後の事でした。



私たちは本来、自分で決めたい生き物なのです。でも、理由を持ち出してまで決めたくないという人たちもいます。



あなたは、自分で決めたいと思いますか。人に決められたことをモヤモヤしながら続けますか。

人目が気になるあなたへ2

こんばんは!


お忙しい中、当ブログをお読みいただき、ありがとうございますm(__)m



前回は、【人目が気になって自分を抑えたり、人に合わせてしまう】という内容でお送りしました。



今回は、自身の体験を交え、引き続きお送りします。



私は、ずっと決定権を人に委ねてきました。
(あの人はどう思うだろう。あの人はなんて言うだろう。)と言うように”自分がこう思うから“という自己決定を放棄していたのです。


ですので、ずっと自分が決めたことじゃない感覚があり、モヤモヤしていました。



しかし、人は決めてもらったほうが楽で、自分で決めたことをやるには勇気が必要だったり、恐怖が出てきますよね。



また、いつも”私にはできないという感覚“があり、やろうとしても無意識にブレーキがかかっていました。



でも、自分で決めることの大切さを知るには人に委ねる体験が必要でした。



あなたは、人生の選択を人に委ねたまま生きていきますか?それとも自分で決めて生きていきますか?
両者それぞれ想像してみてください。どんな未来につながるでしょうか?

人目が気になるあなたへ

こんばんは!



お忙しい中当ブログをお読みいただき、ありがとうございますm(__)m


前回は、嫌なことは何か目的があってさせているという内容でした。

すぐにはピンと来ないかもしれませんが、問いかけ始めると脳は答えを探し始めますので、繰り返しやってみてください。


目的と価値に気づくまで繰り返し状況が起こりますからチャンスは沢山ありますね!!




さて、今回からはテーマを変更してお送りします。
人目が気になり、思うようにできない”というテーマです。



あなたは、人目が気になって自分を抑えたり、人に合わせたりすることはありますか?



私は、家にいれば親の顔を、外に出ればすれ違う人の目が気になり、自分を抑えてばかりでした。



そして、そういう“自分はダメだ”と責めていたのです。
今回からこのテーマを扱うのは、↑のように自分を責めることに繋がるからです。




他人からは、「気にしなきゃいい。」「気にし過ぎ!」などと言われてきました。



そして、(気にしないようにしなきゃ!)と決めました。
しかし、そう思えば思うほど人目が気になるのです。



他人からしたら、その人は気にならないから気にし過ぎに見えるだけであなたは気にしてしまいますよね。


人目が気になる。とはいえ、気になった時感じていることは人それぞれだと思います。



ですので、是非コメントで”私はこんな感じ“と書いていただければと思います。



次回に続きます。

自分を責めているあなたへ4

こんばんは!

 

 

お忙しい中当ブログをご覧いただき、ありがとうございますm(_ _)m

 

 

さて、前回は自分を責めるという看板を背負っていて、それを元に状況が作られているというお話でした。

 

 

 

今回は、“私自身が付け替えた背景とその証左“について記してまいります。

 

 

 

私は、長い引きこもりの後、久々に就いた職場にてあるベテランの女性に責められてきました(と感じていました)。

 

 

それはもう、ちょっと手が空いていたら、「これやって!」「あれができるでしょ!」と言われ、あるいは、ちょっと余計なことをすると、「何してるの!」「こうしなきゃだめでしょ!」と激が飛んできておりました。

 

 

 

まだ慣れきる前に上記のスパルタでしたので、そのときは涙を流してしましました。

 

 

 

そして、『そういう自分がダメだ!言われないように動かなきゃ。』というのが行動の動機となっていきました。

 

 

でも、カウンセリングや講座を受けていく中で(あの人が・・)ではなく、私がそうさせているんだ!ということに気づいたのです。

 

 

また、(あの人はわざわざ教えてくれていたんだ!おかげで時間調整ができるようになった!)など言わせてきたことの価値に辿り着いたのです。

 

 

 

するとどうでしょう。

私への接し方から認めている感じや気を使ってくるようにまでなったのです。

 

私自身からしたら奇跡と言わざるを得ませんが、これは背景の看板が【自分を責める人⇨私はすごい人・自分を認められる人】という風に付け替えられた証左なのです。

 

 

 

その価値に気づくのに何度も何度も自分との向き合いをしてきましたが、今の私は【本当に人は変われるんだな】ということを実感しました。

 

 

 

(あの人のせい)と思うのも愚痴を言うのも簡単です。そして、言っても良いのです。

でも、【何か自分のために気づかせようとしてそうさせているんだとしたら今の悩みは何に気づかせようとしているのか】、その目的にたどり着くことが重要です。

 

 

(何か嫌だな)という場面に遭ったとき、それは気づけというサインです。

ですから、是非あの人のせいでという思いを感じきって飽きたら、自身に↑の問いを投げかけてみてください。

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

感想などコメントくださると幸いです。

どんなことでも結構です。自身の思いなど文字に起こすことで明確になり、大したことでもなかったと気づくこともあります。

自分を責めているあなたへ3

こんばんは!


お忙しい中当ブログをご覧いただき、ありがとうございますm(__)m



前回は、自分を責める自分のことをダメだと思い、なんとかしようと自己啓発本に頼っていたという内容でした。


今回は、“自分を責める人は、自分を責める人という看板を背負っている”というテーマでお送りします。



『自分を責める人なんて看板背負って無いですっ!』と憤慨なさるかもしれませんが、あなたは、“人から責められた感覚を味わってはいませんか?”


何か言われたり、注意されたり、指示を受けたりしたとき、『責められた』と感じたのではないでしょうか?



相手にその意思があるかどうかに関わらず”という点がポイントです。
相手は単に『注意をしなきゃ』とか『言っておかなくちゃ』と思っただけです。
しかし、そもそも【自分を責める人】という看板があると頻繁に言われる状況が起こります。


考えてみてください。
自分を責める人が人から優しくされるでしょうか?
自分を優しくしない人を誰が優しくするのでしょうか?

「そんなこと分かってるけど、優しくできない!」
その気持ちごもっともです。私もそれで長く苦しんできました。
(どうしてできないのかについては後のブログで書いていきます。)

あなたは、どうして自分を優しくできないのでしょうか?



次回は、背負っている看板について続きます。

自分を責めているあなたへ2

こんばんは!


お忙しい中当ブログをお読みいただきありがとうございますm(__)m


前回は、頭の中で流れていた自分を責める声について投稿を致しました。



自分を責める自分のことをどう思いましたでしょうか。



私は、『こんな自分ダメだ。』と思ってました。


だから、『どうにかしなくちゃ…』と自己啓発本を読みまくりました。



しかし、一時的に気分がスっとしたり、高揚したりしましたが、"すぐにダメな自分に戻り"、『やっぱり自分はダメだ…』というのを繰り返していました。


知識は増えてるのにどうにもできないという悪循環に入っていたのです。



でも、おかげでこうしてブログを書いたり、カウンセリングセッションをしたりできたので、"学ばせるために必要だったのだ"と思っています。



あなたは、自分を責めて悩んでいる時どのように解消しますか?
是非コメントしていってください。



次回更新に続きます。

自分を責めているあなたへ

こんばんは!


お忙しい中、当ブログをお読みいただきありがとうございますm(__)m


前回まで人生の役割について投稿してきました。普段人生の役割なんて考える機会はめったに無いと思います。
ですので、この機会に問うてみてはいかがでしょうか。



さて、今回から自身の体験からの別視点・考え方について投稿してまいりますので、ご自身がもしその立場だとしたらと置き換えて考えてみてください。



私は、30歳になりましたが、中学生の頃から、自分を責めて生きてきました。


自分を責めるというのは頭の中で「どうしてああしなかったのか、できなかったのか、もっとこう言いたかった。」と浮かぶものです。


↑のように常に自分を責める声が流れていました。
ネガティブな体験だけでなく、一見なんでもない会話の後も言いたいことが言えなかった、本当はこう言いたかったと。


何をしようが流れたので何をしても止まることはありませんでした。



あなたは、自分を責めている自分のことをどう思いますか?


大きなテーマなので何回かに渡りお送りします。